下見里山のやまみちを整備される皆さんの後ろからお手伝いする振りをして里山散策させていただき,色々見分しながら楽しんでおります.
下見里山を歩き始めた頃は散策途中で何かの知見を得るたびに,『生まれ故郷ではこれはこうだった』というような記憶が蘇り,最初の雑文では,故郷との『比較』を主な発想の種にして散策印象記を書かせていただきました.
下見地区に住んであっという間に40年以上経ち,その間に色々な変化を経験し観察しました.そこでこれから『変化』を発想の種にして少しづつ雑文を書いてみます.
■1.歩き方の変化(一軸歩行から二軸歩行へ)
今回は自分の歩き方の変化について書きます.山道を歩きながらの作業はわずか2時間そこそこなのに参加した最初の数回は,山道を登り降りしている途中から腰骨や尻回りがガクガクになったような気分になり,脱落させてもらうための言い訳を探しながら皆さんの後ろを追いかけていました.
感じた苦痛は疲労感や筋肉痛と異なり,いわば骨盤あたりの骨格がきしみ悲鳴をあげているようでした.日頃は『動けてこそ動物だ』という言葉をモットーに暇々に散歩したり,できる限りエレベータを使わずに階段を上り下りしたり,スポーツジムに通って水泳もしたりして体を鍛えているつもりでした.それにもかかわらず皆さんについて行けないとはなんとも情けなく心身共に疲れました.
くたびれて横になりながら考えているうちに我が身の欠点は体力でなく歩き方にあると思うようになり,『山の歩き方』について調べる始めました.驚いたことにネットでは初心者に対する山歩きのアドバイスが溢れていました.たどり着いた結論は,山歩きするには『一軸歩行』から『二軸歩行』に変えなければならないということでした.それまでそんな二様の歩き方があることなど聞いたこともありませんでした.歩き方を変える練習を始めてから半年,今ではそれほどへたることなくベテランの皆さんについて行けるようになりました.時には一人で近くの山に登って気晴らししてこようという元気も湧いて来るようになりました.
私の文章力では二様の歩き方の違いをうまく表現できませんので詳しいことはネット探索していただくことにして,私が要点と思っていることをチョット書いてみます.
『一軸歩行』は,平坦な道を一定の歩幅で歩く通常の歩き方です.その典型が運動会の集団行進のときの歩き方です.身体の中心に軸を置き,手を左右に振って腰をひねり足を前を出し一直線上に体の重心を移動させていきます.リズミカルな歩き方で,歩幅も広くできますが,絶えず骨盤を体軸の回りで左右にねじらなければならない歩き方です.
一方,『二軸歩行』の基本は,足を落とし込んだところに自分の重心を移動させ,ついでその足を軸にしてもう片方の足の落とし位置を決めていくという動作を繰り返して移動することだといわれています.
左右の足に軸を交代させながら歩を進めるのは,山道のように道が絶えず上下し,坂の勾配が一定でない所では適切でし,なにより腰をひねらないという長所があります.ただ重心移動が不安定になりがちで,こける恐れがでてきます.
一軸歩行も二軸歩行も骨盤を動かして足を出すことに変わりはありませんが,動かし方の違いを私には文章化できません.私は,平地での二軸歩行は日本古来の歩き方の『なんば歩き』になることを知り,左右の手をそれぞれの腿に軽くつけながら歩く練習から始めて二軸歩行の感覚を身につけていきました.
余談ですが,スポーツでは『歩行』ではなく『走行』があり,競技によって『一軸走行』と『二軸走行』を使い分けるそうです.確かに,百メートル競走とサッカーでの走り方の要領が違うのは当たり前です.
内容の乏しい私の文章を掲載するのはしばらく控えるつもりだったが、6年ぶりに腰椎椎間板ヘルニアを
発症し、その原因の一つに里山歩きが関係しているのではと思い、緊急レポートをする。何事にも
光と影があり、この文章は影の部分についてである。おっと、即断は良くない、冷静に最後まで読み進めてほしい。
椎間板ヘルニアを発症する原因には大きく2つある。(1)仕事上重いものを抱えることが多い、(2)同じ姿勢を
長時間続ける。(1)の例は介護職の方に多いと言われているが、私はこれには該当しない。(2)の典型例は長距離トラックの運転業務
である。私はこれにも該当しないが、デスクワークが長時間に及ぶとこれも(2)に等しい。私が最初に椎間板ヘルニア
を発症したのは在職中のデスクワークが原因だったのだろう。この要因は定年とともに取り除かれ、
年金生活中は頗る順調であった。ところがある朝、起きるときに腰に激痛がはしり、柱につかまらないと
立ち上がれないほどだった。ヘルニア経験者なのですぐに状況を把握し、前回と同じ整形外科に行って
レントゲン・MRIで確認してもらった。診断結果は椎間板は大して悪い状態ではなく、背骨の形状を見た限りは20歳以上若く
見えると言ってもらった。患者を褒めて病気を治すプロである。事実、病院に行って3日後には痛みが
大分治まり、楽に起き出すことができるようになった。
冷静になって、今回のヘルニアの原因を考えてみた。(1),(2)は該当しない。すると、原因は6つの
里山散歩コースしか考えられない。梅雨入り前だったので、歩けるときには歩いておこうと、欲張って
毎日のように里山散歩コースを歩いていたが、これが腰に過度の負担をかけていたのだろう。
もしそれが事実ならば、月金で里山散歩コースを歩く「スーパー里山人」コースなどは以ての外
ということになる。これは検証しなければならない。
病院での治療が始まって1週間もするとほとんど痛みが無くなったので、まず平地コースを7キロ
歩いてみた。ある姿勢になると腰にビリっとした痛みがあった。この腰のビリピリセンサーの反応で
腰への負担を測ることにした。平地コースでは僅かな下りのところでセンサーが少し
反応した。続いてHMを歩いてみた。下りのところで強くセンサーが反応した。これで分かった。
里山散歩コースの下り部分が腰に負担をかけていたのだ。そういえばHMを歩いて戻った後に
腰に鈍い痛みが残った。私は業務ではないが、趣味でパソコンや読書をする。このときの前屈み
の姿勢でもビリピリセンサーが反応した。なかなか役立つセンサーである。
そのセンサーも2週間もすると機能しなくなった。まるでバッテリー切れのようである。
今回の検証でもう一つ分かったことは里山散歩コースを
歩いた後の腰の鈍い痛みは一日休むと完全に消失するということである。
これで原因がほぼ特定できた。里山散歩コースは毎日は歩くべきではない。必ず一日は休みを
置き、最大限隔日実施とすること。少なくとも私のような弱腰・及び腰の人間は里山散歩コースを
毎日歩いてはいけない。運動は適量であれば健康増進をもたらすが、度を過ぎると怪我をもたらす
とは至言である。これで「スーパー里山人」への道が完全に閉ざされてしまった。とは直ぐに
考えないところが私のしつこさである。前にGR+KGなどの接続はお勧めしないと書いた。これは
自分の推測から書いたのであり、検証結果に基づいての記述ではない。このような無責任なことを
書いて、元研究者の私としては恥ずかしい限りである。
では具体的に接続コースの説明をする。6つのコースをまとめ、全部で3つのコースとした。
こうすれば1週間で完結できる(もちろん隔日実施)ので「スーパー里山人」への道が改めて
開かれたことになる。ここまで拘る人はいないとは思うが。もちろんこれら3つのコースは
隔日実施であれば腰に負担が蓄積されないことは十分に検証済みであるが、個人差が
大きいと思うので、無理はせず、少しずつ増やしていって各自に合った「適度な運動」を
見出してほしい。下見里山散歩コースはあなたを熱烈歓迎する。
GKGH: これはGR+KG+KHの合成である。3つのコースを合わせるなど無茶だと思われる
かも知れないが、KGの下り(=KHの登り)階段が省略されるので3つのコースをそれぞれ
歩いた場合に比較して運動量の増加は思ったほどではない。取り付きはGRのそれであるから
改めて記述はしない。GRを抜けて鏡西通りに出たらこの通りを学生宿舎の方向に少し下れば
KGの登り口の階段は直ぐに見つかるはずである。ここで疲れを感じていれば、登り口の
階段を素通りして(GRだけで山道は止めにして)帰路とすれば良い(第一の中断点)。GRの行程については
特に特記すべきことは無い。難なくKGの終わりの階段を下ることができる。途中で奥田東山方面
への入口(ピンクリボンあり)に到達できるので、もし散歩を早めに切り上げたいと思うならば
この入口を素通りし(GKG=GR+KGで山道を切り上げる)て帰路につくと良い(第二の中断点)。
奥田東山方面に足を踏み入れたらあとはKHの要領で為実神社までの山道を堪能し、帰路につく。ご苦労さまでした。
JHM:これはJB+HMと接続したものである。登り口はJBのそれであるから特に繰り返し説明する
必要はないだろう。複数回歩くと墓所の特徴まで覚えてしまう。中には墓終いをしていると思われる
場所もある。墓場の群れがなくなると会員によって取り付けられたピンクリボンが懇切丁寧に尾根線
まで案内してくれる。JBは整備状況は大変良いが、思ったよりも長く、山歩きを十分に楽しむことが
できる。最後に竹やぶを抜けて八陣通りに出ることができる。八陣通りに出たところでその日の
体調と相談してJBだけで山道を切り上げ帰路につくという選択も有る(中断点)。ここからHMの
取り付きに向かうわけであるが、HMのそれは八陣通りをかなり森永池の方に下る必要がある。
折角に山歩き気分を味わっているので八陣通りを歩く距離は最小としたい。そこでJBを終えて
八陣通りに出た地点から少しばかりブールバール方向に下るように歩くと茶色の
柵とコンクリートの白が目立つ登り道があるのでこれを利用してHMに入ることにする。コンクリート道を登りきったあたりにピンクリボンを
見つけるのは容易い。我々のきめ細かいサポートである。ピンクリボンを参考に尾根線と思しき
ところを登っていけば難なくHMの頂上に到達できる。偉そうに書いているが、以前は尾根線を
辿っているつもりが、ブールバール方向に下山してしまったこともある。HMは慣れるまでには
色々と課題を突きつけてくる楽しい山である。頂上から北方向への下りはHMコース通りとしてもよいが
ここで私の変な拘りが出てしまった。上記のGKGHと同様に最後に神社で手を合わせたいという
願望である。そこで下りの途中で方向を西に変え最後に八幡神社で手を合わせることにした。
お気づきであろうか、これはメインページにある「八幡山・陣が平山周回」コースとほぼ同じである。
このコースは私が下見やまみちの会に参画するようになった原点であり、知らず知らずのうちに
原点回帰となってしまったような気がしてきた。これも縁というものだろう、八幡神社では毎回深々とお辞儀をしているのは言うまでもない。
FT2:二神山は他の4座と離れているのでいつも別扱いであり、コース合成の対象には最初から
入れなかった。ではなぜFTでは無く、FT2がというと、また私の拘りである。GKGH, JHMには
最後に手を合わせる神社があるのでFTにも、ということで稲荷神社を加えた。但し、稲荷神社の
位置が山道の最後とはならなかったので、どちらかと言えば山道を歩く前に参拝するという
感じである。神社に特に拘らなければFTで十分である。FTと同様にソーラパネルのある入口(西口)
から良好な山道を登っていくと直ぐに稲荷神社方向を示す立て札があるのでこれに沿って
神社へ向かう。参拝を済ませた後に山頂に向かうのは容易いので迷うことはないと思う。地図を
参考にしてほしい。但し尾根線に出る地点は西のピーク付近で、山頂に到達するためには尾根線を
かなり引き返す必要がある。これを楽しみと考えるか、無駄だと考えるかは、あなた次第である。
参考のため、これら3コースの私の場合の総距離を書く。GKGH:10.6キロ、JHM:8.1キロ、FT2:10.5キロ。
これら3つを最大頻度隔日で歩いている。もちろん、平地散歩コースをいくつも持っているので
それらも含めて散歩を楽しんでいる。
果たして下見里山を含めた散歩コースは有意義なのだろうか?私の答えは肯定的である。
確かに腰への負担が少ない平地の散歩コースだけで済ませるのも一つの考えである。しかし、腰や
その他へ適度な負担をかけることにより、足腰の健康を保つことができる。ヘルニアの治療でも
経験したが、腰を固定して全く動かさなくするよりも、私の程度のヘルニアでは少し痛むところまで
腰を動かしたほうが回復が速いと指導を受けた。この「少し痛むところ」というさじ加減が難しいが、
私の場合は3つの山道コースを無理のない程度に歩くことにより、ヘルニアからの回復が速まった
ことは間違いない。あなたに合った里山散歩コースをデザインすれば、下見里山に眠る古代人・
近代人、および神社の神はあなたを快く迎えてくれる。下見里山を存分に活用されんことを願う。
お陰様で少なくとも一日は間を空けるという注意を守って、私の宝物のような下見里山散歩コース(FT/FT2, JHM, GKGH)
をだいたいこの順番でローテーションしながら元気に歩いている。腰の状態も頗る良い。私にとって
下見里山は健康増進のための強い味方であることを確信した。精神的にも、肉体的にも健康寿命が少しばかり伸びたような気さえする。2022年の夏も地球温暖化の影響で酷暑であったが、この時期にこそ、下見里山散歩コースが役立った。
地上は如何に暑くとも、山道は涼しく、平地散歩コースは酷暑の夏はお休みにして、全て山道コースを歩いた。
山へ入るまでと山を離れた後は平地を歩かなければならないが、ここは我慢して大汗をかきながら歩いた。
しかし山歩きには良いことばかりはない。避けて通れない問題を3つばかり挙げる(もちろん他にもあるが、私にとっては
当面この3つが厄介ものである)。
(1)茨植物:今まで山歩きをしていて何度、棘でスボンや上着に亀裂を入れたことであろう。そもそも植物が棘を
もつのは何のためだろうか?自己防衛?理由は良く分からないし、考えたくもない。複数の種類があるのだろうが、
名前を調べる気もしない。理由もなく襲ってくる
夏の蚊と同程度、あるいはそれ以上に私は棘植物が嫌いである。ついでにバラも同じ理由で好きになれない。
山によっては棘植物が群生しているところがある。これは山の持ち主が植えたのであろうか?そうであれば
訴えたい、傷ついた衣服の補償をしてほしいと。すると間違いなく先方は山に不法に侵入したことを逆に
訴えることであろう。お互い様ということで、ここは仲良くしよう。藪漕ぎをするときはほぼ間違いなく棘に
やられる。里山作業でも何度かあった。
しかし、安心いただきたい、下見里山の道を歩いているときは道を踏み外して藪の中に入り込まない
限りは棘植物に悩まされることはない。この世から蚊がいなくならないと同様に棘植物も存在し続ける
だろう。これは上手に付き合うしか無い。
(2)蜘蛛の巣:気温が高いうちは山の散歩道を歩いているとき、必ず顔に蜘蛛の巣がまとわりついてくる。
もちろん、小枝を拾って蜘蛛の巣を壊しながら歩くのだが、この苦労をするのは朝イチで歩くものの
「特権」である。楽しみと言っても良いかも知れない。蜘蛛の巣が残っているということはその日の
一番乗りであることの証左と変な優越感さえ覚える。蜘蛛にとっても山道は風通しが良いので巣をかけるための一等地なのだろう。
考えてみると蜘蛛の巣を壊しながら歩くということは、蜘蛛の側からすると営業妨害行為である。
山道はそもそも誰のものかと歩きながら考える。私の下見里山の散歩道を歩いている人は
果たしておられるのだろうか?と考えながら夏の、とある日の朝 GKGHを歩き始めたとき、いつもより蜘蛛の巣が
少ない(ほとんど無い)のに気づいた。ひょっとしてと思いながらガガラ山の頂上近くまでくると、何と、うら若い女性が
一人で歩いておられた。もちろん手には蜘蛛の巣とりの小枝を持って。びっくりしたが、向こうはもっとびっくりされた
ことであろう。コロナ感染防止の為のソーシャルディスタンスを取りながら一言、二言交わして別れたが、
その節は失礼しました。その方がこの文章を読まれる可能性は百万分の一以下であろうが、敢えて書こう。「また
お会いしましょう。」後にも先にも
下見里山散歩コースで出会いがあったのはこの時だけである。蜘蛛の巣にはこのように出会いの場の有無を
教えてくれる素敵な一面もある。
(3)笹草:この植物の名前を知っておられる方は多くないと思う。私もそうだった。下見やまみちの会での一番の
知恵袋に教えてもらった。そもそもこの文章を書こうと思ったのは、この植物のことがあったからだ。
夏が終わりかけ、山に秋の気配が感じられる頃、すなわちセミの数が減り始める頃、山歩きをするとズボンに
夥しい数の細長い種子が取り付くことがある。と言うよりも取り付かないことのほうが少ない。顔は蜘蛛の巣に
やられ、ズボンはこの種子にやられるといった具合だ。そう、ダブルパンチである。この細長い種子を生み出している
のが何を隠そう笹草である。インターネットで簡単に検索できる。特徴は何と言っても葉が笹のそれにそっくりである
ことだ。私の散歩コースで笹草に最も悩まされるのはFT(二神山)の西口からの登りのところである。
よく観察すると、笹草はご丁寧に山道に沿うようにして群生している。考えてみればこれは当たり前である。
山道を歩く->笹草の種子が付着する -> 種子を山道に沿って撒き散らす。笹草の思うつぼである。ここで思い出した。
子供の頃、秋口にイノコズチ(が多かった)を探してきて、他人の衣服になすりつけて遊んでいた。その罰が今になって
訪れようとは思ってもいなかった。その罪の償いに笹草に悩まされることを受け入れなければならない。インターネットで良く調べると
笹草は漢方では淡竹葉と言われ、解熱や利尿に効果があるようだ。下見山道の笹草を思う存分持ち帰って
活用してほしい。いくらでも差し上げる(これは地権者への断りは必要ないと思う)。
ここでいつもの宣伝である。受容可能な厄介物はあるが、山道散歩はやはり楽しく、有意義である。この文章の ような駄文を歩きながらいくらでも作り出すことが出来る。下見里山で お会いしよう。
表題は内容の柔らかさを中和するため固いものにしたが、相変わらず内容の乏しい軽い文章で、前稿の続きである。より正確には
"笹草の種子"除去装置であるが、簡単のため笹草除去装置とした。以下、特に断らない限り笹草とは迷惑千万な笹草の種子のこと
である。装置というには大げさかも知れないが、私にとっては一ヶ月もかけた暇人の大発明製品である。もっとも、考えつくのに
一ヶ月かかり、開発期間は5分の製品である。
まずは製品の写真をご覧頂きたい。断っておくが、製品は美しいものではなく見栄えの悪い、ある意味では気味悪いものであるが、
開発現場はこのようなものである。なお、写真では小さすぎて見えないかも知れないが、無数の笹草が捕獲されている。
この写真を見て全てを読み取った人はこの先は読む必要は無いと思われるが、長い文章では
ないのでついでに最後まで読んでほしい。
2022年の9月に入ってからの下見里山散歩では前稿のごとく顔は蜘蛛の巣に、足元では笹草に悩まされていた。蜘蛛の巣は小枝を
拾って除去しながら歩いていたが、笹草にはなされるがままだった。蜘蛛の巣を取り除くための枝が二又になっている場合は
蜘蛛の巣を除去するたびに枝に取り付く蜘蛛の巣が増えていき、まるで綿あめのように見えることがあった。10月初旬の今日の
散歩(GKGH)でもたまたま二又の小枝を拾って歩き進んでいたが突然思いついた(ガガラ山を歩き始めて約5分経過後)。蜘蛛の巣で笹草を
取り除くことが出来ないか?(開発完了)。
(1)山道に入る前に二又(若しくはそれ以上の枝分かれのある)小枝を探す。(2)蜘蛛の巣を小枝を使って取り除く。(3)笹草が
ある場合は小枝を足元に向けて、笹草を蜘蛛の巣で取り除く。以後、(2),(3)を繰り返す。このようにすれば山道を歩き進む
ごとに蜘蛛の巣が補強され、笹草捕獲能力も高まる。このようにしてGKGHを歩き終え、為実神社の社に開発した除去装置を
立て掛けて撮影したのが掲載してある写真である。この装置の特徴は:
(A)装置の部品は全て現地調達なのでコストゼロである(懐に優しい)。
(B)装置は人工のプラスチックなどを使っていないので完全に自然分解される(環境に優しい)。
開発した装置は次のようにも解釈できる。蜘蛛の巣というマイナスと笹草というマイナスを掛け合わせ、プラスに転じる。
換言すれば、「毒をもって毒を制する」というところか。使い終わった装置は神社に奉納するという訳にもいかないので、
神社裏の山道と離れたところに廃棄した。そう、笹草が芽を出しても誰にも迷惑とならない場所である。私の開発した装置は
特許にならないので自由に自作いただいて構わない。しかし、間違ってもプラスチックで二又の小枝のようなものを作らないで
欲しい。それでは上に書いた「ダブルで優しい」という条件を満たさなくなる。里山の自然循環を大切にしよう。
9月中に笹草を重点的に観察していてもまだ笹草と本物の笹との区別がつきにくい。もちろん高くなって竹の部分が十分に
太くなれば本物の笹竹とわかるのだが、足元の小さな笹だと笹草と区別が難しい。本物の笹は迷惑な種子をださないだろう
という位しか区別のしようがない。また、笹草は根があまり張っていないので簡単に引き抜くことが出来る。笹草は
どちらかというと可憐な植物に属するのだろう。それでも、迷惑は迷惑、戦いをやめることはしない。
10月に入ると笹草の種子は数が減ってきたように思う。すると本格的に悩まされるのは9月ということか、そう願いたい。
笹草がズボンに取り付いたときの除去の要領も分かってきた。顕微鏡で見たわけではないが、笹草の取り付き部分は釣り針
のようになっているようで、釣り針の先がズボンの裾向きにささるように思う。したがって、笹草を取り除く場合は上から
下に払うのは駄目で、ズボンの下の方から上向きに笹草の根本を持ち上げるようにすると簡単に取ることができると知った。
引っ張っては駄目である。釣り針の部分がズボンに残ってしまう。
迷惑物件も付き合うと結構楽しい仲間(仲良くはなれないが)と分かる。このような迷惑物件も含めて、
里山で散歩を謳歌しよう。
嘗て会員の雑感(1)に2021年3月30日という文章を寄稿した。そこでは私が下見やまみちの会と出会った経緯を簡単に記述した。
この時からは1年半以上の時間が経過したが、下見やまみちの会のHP管理者として特別な日を迎えたので、また簡単な文章を
寄稿することにした。
表題の11月21日は前日降った雨も上がり、朝から日が差していたし、気温も高めだったので散歩することにした。足元が
良くないので平地コースにしようかと思ったが、何となく陣が平から八幡山へと向かうコース(私のルート・コードネームでJHM
と名付けている8キロ余りのコース)を歩いてみたかったのでそのようにした。陣が平を歩いているときは落ち葉が濡れて
滑りやすかったので、やはり平地コースにしておけば良かったかと少しばかり後悔しながら散歩を続けた。やがて
陣が平を八陣通りに降り、八幡山に入った。いつもの散歩コースなので迷うこともなく、考え事をしながら歩いていた。
八幡山も順調に登り、頂上が近くなったところで人の話し声が聞こえたような気がして、驚いた。私の3種類の下見里山
散歩コースで人に会うのは鏡山の頂上から奥田東山への分岐の間だけで、その他の場所で人に会うことは殆どなかった。
八幡山のような下見里山の最後の秘境で人に会うとは想像もしていなかった。
頂上が近づくにつれて話し声が大きくなり、やがて頂上への最後の坂道のところで最後尾(の女性)が私の接近に気づき
振り返られたので簡単に挨拶をした(怪しい者ではありませんとの意思表示)。すると、列全体に向けて道を開けるように
声がけしてして下さり、私のために通り道が用意され、恐縮しながら一足先に頂上に向かわせていただいた。坂を登り終えた
ところで代表と思われる品の良い男性(そういえば2021年3月30日に下見やまみちの会・代表に初めてお会いしたときも気品を感じたのを
思い出した)がおられたので一言話をさせていただいた。団体で登っておられる方々はマスクを着用しておられたが、
私は野外ではマスク不要と決めてかかり散歩中はマスクを着用していないので、長話をするわけにもいかなかった。
このときとっさの判断で、我々の整備した道が有効活用されていると感じ、スマホカメラで上から目線ではあるが写真を
とらせていただき、HPへの掲載を考えていた(メインページの八幡山関連部分に写真を掲載済み)。
家に戻って、八幡山の山道が有効に利用されているとの興奮を会員のMLを通じて連絡し、撮影した写真の掲載の可否を
尋ねた。すると肯定的な返事とともに、HPに連絡先を掲載してほしいとの要望があることも聞かされた。思えば、
HPを立ち上げるとき、連絡先を載せるかどうかは大きな問題だった。結局は2つの理由で連絡先は掲載しないことにした。
まず、我々は任意団体であり、照会頂いても責任のある、確固たる回答ができない。例えば、山道で落とし物を拾ったが
どうすれば良いかと聞かれても答えようが無い。2つ目はスパムメールを始めとするネットワークでの迷惑行為
への対策のための技量が無いという理由からである。
私のMLへの書き込みに対し、別の会員から本日にお会いしたグループ登山団体についての重要な情報が寄せられた。
この団体は「東広島郷土史研究会」という50年以上の歴史をもつ由緒ある組織が企画された「第62回 山城探訪会」の
参加者だったのだ。因みに連絡をもたらした会員はこの企画のことをたまたま見つけ、自分でも飛び入り参加のつもりだった
が生憎コロナワクチンの5回目の接種日だったため、参加はできなかったとのことだった。私は下見里山をひたすら
散歩するだけで単なる坂道としてしか捉えていないのに対し、他の会員は山城や植生をも見ておられるのだなと知り恥ずかしく
なった。もちろん、東広島郷土史研究会へは本日の顛末を連絡した。
通常では起こり得ないような不思議な一致が生じたこの日こそ我々の活動に対するご意見を頂戴するチャンネルを開く日と
感じ、恐る恐るではあるが、連絡先をHPに公開することにした。無い知恵を絞り、連絡先に寄せられる照会事項は
会員全員が閲覧できる環境を整備した。2022年11月21日は下見やまみちの会が社会との接点を少しばかり広げた
記念すべき日である。
山と川は、唱歌「ふるさと」にも歌われていますが、私が最も愛着と郷愁を感じているところです。疎開先の山奥で子供時代を過ごしましたが、「山で小鳥を捕って、川で魚を釣って」は、私にとって単なる遊びではなく、食糧難を凌ぐ生き残り手段でした。三つ子の魂百までの例えの通り、末期高齢者を自覚する今となっても、山と海(水)で戯れています。山と海はあらゆる命の源泉であり、「山海」は「自然」と同義だと思っています。
さて我が「さとやま5座」の1座、二神山西側のふもとには川が流れています。黒瀬川支流の温井川です。川床は概ね岩盤で、水は所々で滝となって音を立てて流れており、砂利が溜まった流れの緩やかなところには錦鯉が泳いでいます。山裾に、このようなきれいな渓谷があることは、あまり知られていないようです。コースの概略は、南下する温井川の両岸2km弱を往復するものです。広島CC入口分岐付近から川の西側を下り、井ノ邑付近で折り返し、川の東側を戻ります。コース説明に先立って、温井川、黒瀬川、西条盆地の概要を記します。
温井川の源流は、曽場が城山の麓、七つ池や小倉神社付近です。西方面から水が丸山付近を源流とする戸石川が、二神山の北西200mで合流し、さらに槌山付近からの古河川が、山の南西200mのところで合流しています。この地点には「武士の滝」があり、その昔夏には子供たちの水遊び場として賑わっていました。ここから約1km南東で、北東方向からの本流黒瀬川に合流しています。「川」と「さとやま5座」との関係を、いま一つ巨視的に見てみます。上述した三つの支流は、おおむね西条盆地の西側の山々を水源として、さとやまの西側を南下し、山を過ぎた辺りで東進し、さとやま中央部から南へ約500mの付近で黒瀬川本流に合流します。一方、盆地の北側の虚空蔵山・並滝寺付近を水源とする本流は、蛇行をしながら南下して、さとやま東側の「吾妻子の滝」を過ぎたあたりで西進して、上記の地点で支流を受け入れています。さとやま5座は西条盆地の南外輪山を形成しています。合流点までが黒瀬川の上流部で、合流点から二級狭までが、中流部・黒瀬盆地です。二級狭の下流部は呉市になります。黒瀬川は、河口が県内にある河川の内で、4番目に支流の多い河川です。因みに順位は、芦田川、太田川、沼田川、黒瀬川のようです。
さて、本題「水辺トレッキング」について、二神山芝生広場(福山通運北隣のグランドゴルフ場)を発着とする、所要約2.5時間のコースをご紹介します。
芝生広場⓪から周回道(反時計方向)へ入り、すぐに(100m・)右折し、県道から広島CC八本松コースを目指す。CC入口分岐①(この手前で温井川を渡る)から川沿いを南下(西岸)1kmで川の堰②に着く。武士の滝を通過し、
古河川③を渡る。南東方向約500mで、温井川の橋④を渡る(東向き)。つづいて県道まで進み左折(北向)50mほどで、進路をやや川よりへ調整して、温井川沿いの道を約1km北上すれば、堰⑤=②へ着く。⑤から藪漕ぎを経て、二神山親水道温井川‘出会い・’、‘別れ・’を経て、約200m山道を登れば、周回道⑥に出る。周回道を300m(時計回り)で芝生広場⓪へ戻る。
相変わらず下見里山5座に設けた3種類の里山散歩コースをほぼ隔日に(悪天候のため、しばしば3日に一回となるが)
元気に歩いていて山道での発見が少なくなってきたので、目を転じて散歩コースのうちの一般道部分に注目してみた。
考えてみると、散歩コースの中で里山部分を歩くのは2割以下で大部分は一般道(主として田んぼの畦道)を歩いている
わけであるから発見の機会はこちらの方が多いはずである。
という訳で一般道から見た山容を取り上げる。下見里山は西条盆地の中にある。盆地ということは全方向に山が見えるはず
である。とは言っても里山のすぐそばでは全方向の遠景が見えないので少し離れて眺めてみる。西条盆地の中心
(中心とはもちろん地理的な中心の
ことで、経済活動の中心という意味ではない。)に行けば
理論上は全方向に山がほぼ等距離に見えるはずである。理屈ではそうだが、小高い丘が散在し、大学周辺では学生アパート
や学生街を形成する種々の施設の建物があるので視界を遮る。それ以前に西条盆地をどのように決めるかが難しい。
全方向に山が等距離に見えるためには盆地の形が円形に近いことが望まれる。こう考えながら地図を見ると、あろうことか
下見里山が盆地の形をいびつにしている。盆地の南東部分が下見里山のために短くなり、結果として形状が45度程度傾いた
ラグビーボールのようになっている。これは自然現象なので文句を言っていく先は無い。むしろ、盆地形状が円形で
あって欲しいと考える暇人の発想こそが笑いの種である。
承知しました、では我が愛する下見里山を含めて西条盆地の中心を探すことにしよう。私が鏡山(あるいは八幡山)
から下山した後(要するに散歩コースの帰路)には写真の西条中央中学校の近くから西北西に延びる畦道を
よく利用するがこの畦道が私の考える西条盆地の中心を通過していると考えている。もっと言えば、写真の撮影場所付近が盆地の
中心ではないかと思う。中心であるための基準は至って単純で、
建物の邪魔がもっとも少なく遠くの山が全方向に見える地点である。
この写真撮影位置からは特に西方面が素晴らしい。北西方向から反時計方向に曾場ヶ城山、
水丸山、東山、槌山、少し遠くに鉾取山、それから名前の分からない(名付けてない)山が続き、黒瀬の
小田山まできれいに見える。南方向は下見学生街(この地点ではある程度距離がある)の背後に呉の山が見える。
更に進めていくと下見里山が見えてくる。そして中央中学校の背後に八幡山が見える。東方向は残念ながら
国道2号線(旧名バイパス)の高架が邪魔である。それでも白鳥山はよく見えるし、さらに進めて
大久保山、龍王山、そして北方向の虚空蔵山、南条山と山容は続く。遠くの建物や高架に一部遮られてはいるが
確かに全方向に山があるのは確認できる。
里山を歩いた後にこのような全方向に山の見える畦道を歩くことができ、健康とは何と有り難いものかと
改めて思う。歩ける間に散歩を存分に楽しもうではないか。
会員の雑感(4)に続きます。